南相馬市の生産者

手を携えみんなでねぎをつくる
原町区
ねぎ生産農家 林崎修一さん

南相馬市原町区で、ねぎとブロッコリーを大規模に栽培している林崎修一さん。
震災後のさまざまな葛藤をバネにしながら、地域の方々と作り上げている農業の形を追いました。

ねぎの大規模栽培を目指して

季節は2月。雪が散らつき、思わず身を縮めてしまう寒さの午後。南相馬市原町区にある林崎修一さんの畑では、ねぎの収穫作業の真っ最中。林崎さんのもとで働くスタッフの方々十数名が、立派に太く育ったねぎを土から抜いて、複数本を束ねる作業をしているところでした。寒さも何のその、てきぱきと手際よく進めていきます。

林崎さんの家は代々続く専業農家。お父様の代では、漬物用のだいこんやポテトチップスに使われるじゃがいもなど、加工用の野菜を作ってきました。
ねぎをつくり始めたのは修一さんの代から。他の野菜に比べて収穫できる時期が長く、冬の時期も畑仕事ができることから始めたそうです。

林崎家では、代々大面積の畑を担ってきたということもあり、ねぎの収量面積も大規模です。

「1〜2人の家族経営の農家さんの畑は1ヘクタールくらいのイメージです。埼玉県で深谷ねぎを栽培する農家さんは4ヘクタールの面積を持っているので、うちもそれくらいの規模は目指してきたいと考えています。」と林崎さん。

ねぎの出荷のピーク時期は、10月から翌年3月までの間。この時期には、一日あたり最大3トンは出荷しているそう。その量に驚いていると、「商品になる前は5〜6トンはある」というさらに驚きの回答が。

手間のピークは皮むき

畑を後にし、林崎さんが案内してくれた加工場では、シュー!という掃除機で何かを吸い込んだような巨大な音が響いていました。音の正体は、ねぎの皮むき機。機械にねぎを入れると勢いよく空気(エア)が吹き出し、ねぎの皮がするっと取れる仕組みです。

「ねぎの生産で最も手間がかかるのは、ねぎの皮むきです。先程、商品になる前は5〜6トンはあると言いましたが、それは皮がついた状態の重さなんです。手作業でもむけるのですが、量が追いつかないので、こういったエアを使って皮むきをしている農家さんがほとんどです。」

機械を使いながら流れるように皮むきをしていくスタッフの皆さん。その手つきはまさに熟練の技。スーパーなどに並んでいるねぎがすべすべとした質感なのは、一本一本皮をむいて出荷されているからなのです。

営農を再開して感じたこと

林崎さんの農地は、東日本大震災による地震自体の影響はほとんどありませんでしたが、原発事故による影響で避難を余儀なくされました。

「川俣町、福島市、郡山市、会津を転々とし、その後一年間は新潟県にいました。とはいえ、家や畑の様子を見ないわけにはいかないので、度々新潟県から見にきていました。その後も、仙台市にアパートを借りて通いで仕事をしていて、南相馬市に完全に戻ってこられたのは、震災から3〜4年経ってからです。」

平成24年にようやく再開したねぎづくり。様々な事情を抱えながらも続けているのには、林崎さんのこんな想いがありました。

「新潟県に避難して3カ月近くは何もできなかったんです。それが辛かった。何もできないというのはこんなにもひどいのか、と。こちらに戻って再開した時は、大変だけど、体を動かすっていいなと実感しました。そして、仕事は一人でやるよりみんなでやると楽しい。冗談言ったりできるしね。」

王道のねぎのおいしい食べ方

ねぎづくりをはじめて早15年以上になるという林崎さん。10年以上やれば、ねぎのことがわかってくるといいます。そんな林崎さんは、ねぎをどのように食べているのでしょうか。

「採れたての新鮮なねぎを焼いて、味噌や醤油をちょっとつける。鍋で煮る。それがやっぱり一番美味しいです。冬の時期、うちはほぼ毎日鍋ですね。魚介や肉などいろいろ入れて。魚と同じでねぎも採ってからどんどん鮮度が落ちていくので、早く食べるのが一番です。」

ちなみに、ねぎの花は「ねぎぼうず」と呼ばれていますが、市場に並ぶねぎには見られません。このねぎぼうずを見られる農家ならではの食べ方も。

「元々は、花が咲くと栄養が取られてしまい、ねぎが硬くなってしまうということで切って捨てられるだけだったのですが、ここ数年、捨てずに天ぷらにして食べるようになりました。ぼうずの天ぷらは、ふきのとうに近いような食感ですかね。」

特別なことはしていない。でも、太くて甘い。そう答えてくれた林崎さんのつくるねぎ。地域の皆さんと手を携えて作っているからこそ、立派な王道のねぎに育っているのでしょう。

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